宮沢賢治とは
「銀河鉄道の夜」で有名な宮沢賢治。
彼の代表作でもあるこの童話は、実は未発表の作品だったりするんです。
裕福な家庭のおぼっちゃまで、数々のお話を書きながらも作家ではなく〝科学者〟と名乗る意外な一面が沢山!!
そんな宮沢賢治のほんの一部をご紹介します。

実は未発表作品ばかり
大正13年に(29歳)「春と修羅」「注文の多い料理店」を自費出版したのち37歳という若さでこの世を去りました。野山を歩き自然から得たインスピレーションから自身の手帳に記す方法で物語を生み出していたためキチンとした原稿がなく、死後、親族より手帳から詩や物語を書き起こし草野心平などの活躍により彼の作品が広く知れ渡り評価を得ることとなりました。
そのため、有名な「銀河鉄道の夜」は解釈の違いにより改変され全4稿もあり微妙に内容が違います。

実は裕福な家庭のおぼっちゃま
雨ニモマケズ等の作風によりなんとなく素朴な家に生まれたかのように思う人がほとんどと思いますが、実は賢治の家は質屋を営むお金持ち。
跡取りとして生まれ、とにかく頭が良く小学校時代はほとんど首席でしたが、体が弱く心優しい少年でした。自然を愛し、自然と対話ができる詩人的な面と、科学的に分析できることができる能力を持っていました。

科学者と名乗る賢治
まずは宮沢賢治が生きた時代明治29年から昭和8年の戦前時代。
当時の文豪といえば芥川龍之介などが主流の時代、そんな中、天体や鉱物を比喩にしたり、オノマトペをふんだんに活用した彼の作風はまさに〝異端〟とも呼べるものでした。
そのせいか。生前に発表した作品「春と修羅」「注文の多い料理店」は書店のワゴンセールに並んでしまう程、全く売れなかったそうです。
自信をなくしてしまったせいか、彼は自身のことを「私は詩人としては自身がありませんが、一個のサイエンティストとしては認めていただきたいです」と知人の手紙に綴ったのだそうです。

RUBBISH ARTのたわごと通信
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